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バスキング日記 第3章 マラッカで世界を回ったバスカーと出会う

 マラッカ。シンガポールから半日をかけて移動してきたその街は、世界遺産があるがこぢんまりとしていて、ほのぼのと温かく、とても居心地のいい場所だった。食べ物は美味しく、物価も安く、長居するにはもってこいの場所だ。バスカーとして最初の第一歩を踏み出した僕は、シンガポールでの失敗の経験をどう活かすかを考えていた。度胸はついたかもしれないが、あれは本当に地獄だった。アジアではもうバスキングをするつもりはなかったので、ヨーロッパに入った時にバスキングができるよう、自分を鍛える必要性を感じていた。

 

  具体的には、『①機材の見直し』『②手笛の技術向上』『③ニーズに合った選曲』の3項目だ。機材については、いずれ購入するタイミングがあると後回しにした。問題は②と③だ。日本には綺麗なハンドフルートを奏でることができるプロが数名いるが、いずれも僕とは手の組み方が違う。日本のプロたちは、お祈りをするような手の組み方をするが、僕はおにぎりを握るような組み方しかできないのだ。おにぎりスタイルで綺麗な高音を出せるかは不明であり、前例がなかった。どうしようもないので模索するしかない。また、実際に路上に立つと緊張で手汗が発生し、音が安定しずらくなるということも分かった。これは、場数を踏むしかないのかもしれない。選曲は正直、見当がつかない。ビートルズくらいは知っているが、各国の音楽事情や流行の曲などは知るはずもなく、結局は日本の曲や、ジブリ・ディズニーを演奏するしかないという結論に至った。そして、手笛単体ではシュールすぎるので、BGMを流しながら吹くべきだと考えていた。

 

 そんな風に、マラッカで反省と作戦を練っていたとき、同じ宿に日本人らしき人が泊まっていることに気づいた。この宿の共有スペースは、別荘のリビングのような広々とした空間にテレビとソファ、テーブルが置いてあり、中国風の飾り付けがしてあった。部屋数は多いようだが宿泊客は少なく、共有スペースにはいつも2~3人の外国人しかいなかった。僕は日本人らしき男性に思い切って声を掛けてみた。「こんにちは。日本の方ですか?」「こんにちは。そうですよー」気さくな返答だった。細身の身長175cmくらいの長髪・細目の男性で、僕より1歳年上だという。彼の計らいで、夕食をご馳走していただくことになった。そして、彼の話を聞いていくうちに、僕は驚きに包まれることになる。彼は世界を回ったバスカーだったのだ。

 

 僕は彼のホームページを見たことがあった。遠い世界の人というイメージだったが、今、彼は僕の目の前にいる。まだ世界一周を始めたばかりだったが、こんなにも早く、腕利きのバスカーに会うとは思っていなかった。彼は、スプレーアートという少しニッチな特技でバスキングをしており、Youtubeの動画から独学でその技術を学び、日本を一周した後、世界を一周したというのだ。現在は数ヶ月マラッカに滞在しており、腕を磨いているということだった。いずれは個展を開きたいと言う。努力と独学だけで技術を磨いたという面において、なんとなく親近感を感じたが、そのスケールには大きな差があった。バスキングだけで世界を回る人が、本当に実在しているということを僕は知った。

 

 最後に僕は手笛を聞いてもらった。演奏した曲は『となりのトトロ』だった。彼は手笛のことを「間違いなくブルーオーシャンだから、続けたらすごいバスカーになるかもしれない」と評価してくれた。ブルーオーシャンとは、競争相手がおらず、市場にチャンスが溢れているというような意味だ。彼は未だかつて手笛のバスキングを見たことがなく、希少価値が高いと言ってくれたのだ。僕は素直に嬉しかった。シンガポールで一度心は折れたが、また挑戦してみようという気持ちが芽生えてきた。

 

 その後、東南アジアで路上に立つことはなかったが、度々ゲストハウスで手笛を披露し注目を集めた。また、訓練は継続し、少しだけ高音域を広げることができたと思う。このマラッカでの出会いが影響を及ぼしていることは言うまでもない。ヨーロッパでのバスキングに備えて手笛を練習していく中で、僕の意識は少しずつ変わり始めていた。手笛バスキングは、チップをもらうためにやるのではなく、聞いている人に喜んでもらったり驚いてもらったり、何か良い影響を与えるためにやるべきだと。そして、そもそも僕の手笛はそんなにすごくない。

 

僕はいつの間にか、現実を正面から受け止めることができるようになっていたと思う。

 

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