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バスキング日記 第4章 ロンドンでの挑戦と同業者たちの罠

 ロンドン。その街はあまりにも有名だ。世界の中心の一つであり、歴史・金融・商業・娯楽など、どの分野においても世界的な影響を持つ大都市である。移民が多い街としても有名であり、大通りを歩いていると、様々な人種の顔ぶれを目にすることができるだろう。そして、そんな大都市ロンドンの一面として、バスキングの文化が根付いていることをご存じだろうか。観光地や地下鉄には必ずバスカーが存在し、大道芸・アート・音楽などでこの地に華を添えている。観光客は、そんな風景を何気なく眺めているだけだと思うが、その裏には熾烈な争いがあることを、この時の僕は知るはずもなかった。

 

 そもそもなぜ僕はロンドンにいるのだろうか。東南アジア周遊をしていた僕だったが、きっかけは突然に訪れた。ロンドン治験の募集があったのである。貧乏なバックパッカーである僕は、その待遇の良さに目がくらみ、何度も航空券代が支給されることを確認したうえで、すぐさまチケットを購入した。トランジット先のエチオピア空港で怪しまれ予定していた飛行機に乗れなかったり、ヒースロー空港でロストバゲージに遭ったり、宿に連絡を取れず遅れたため宿泊できず2万円も損したり、トラブルが多かったが、これらは金に目が眩んだ僕への罰だったのかもしれない。

 

 ともあれ、ロンドンだ。僕はバスキングをしなければならない。突然のイギリスは予想していなかった展開であり、シンガポールでのトラウマが頭をよぎったが、ヨーロッパに来たらバスキングをすると僕は決めていた。そして、まず最初に行ったのが機材の調達である。手笛には相応しい機材が必要であることを、僕は身に染みて感じていた。幸いにも、治験所はネット購入した商品の受け取りを認めてくれたため、じっくりと吟味し、アンプ・シールド・マイク・スタンドを購入した。アンプはブロック塀1個分くらいの大きさで重量3.5kg、金額は約25,000円である。これまでに会った書道やスプレーアートの腕利きバスカーならば、難なく回収できる金額かもしれないが、僕には25,000円を回収することは到底できないだろうと感じた。だが、それでも構わなかった。チップをもらうことよりも、手笛を認めてもらいたいという承認欲求の方が格段に勝っていたからだ。さらに、HAND WHISLING と書いたプラカードも新調した。同じ宿に泊まっていた女性がポップな字体で書いてくれたのだ。僕には真似できないセンスだ。本当にうれしかった。今でもこのプラカードからは元気をもらっている。

 

 次に、演奏する場所である。これについては幸運なことに、同じ治験を受けていた日本人のシゲ君から情報を得ることができた。シゲ君は20代後半で、身長172cmくらいの細身・長髪・メガネのおしゃべりな情報通だ。海外経験は僕よりはるかに多いらしい。彼は生粋のバスカーではなかったが、三味線を弾く日本人バスカーと一緒に、一度だけロンドンでバスキングをしたことがあるというのだ。その時のスポットがとても良いということで、案内してもらうことになった。そしてなんと、その話を聞いていた治験仲間たちも、当日一緒に応援に来てくれることになった。心強いことこの上ない。決行日はロンドン出発の3日前に決定した。シンガポールの時とは違う、最高の状態だ。万全の準備をし、頼もしい仲間に恵まれ、僕はロンドンでのバスキングの日を迎えることになった。

 

 霧のロンドンという言葉がある。ロンドンはどんよりと雲がかかった天気の日が多く、なかなか晴れないことで有名なのである。しかし、この日だけは晴れていた。まだ風が冷たかったが、バスキング日和であった。この日は午前中に治験の最終検診があり、その後カフェで談笑した後、仲間たちとバスキングスポットへ出向く流れとなった。人数は僕を入れて5人だ。シゲ君によると、そのスポットは橋の上らしい。歩行者のみが通れる橋で、幅が広いため、端でバスキングをしても歩行者の妨げにならず、それでいてそこそこ近くを人が通るため、音が聞こえやすいという。さらに、公園などと違い、人が一箇所に固まっていないので、次々と新しい人に演奏を聞いてもらうことができ、チップも入りやすいらしい。彼は自慢げに教えてくれた。慢心はしていなかったが、今日のバスキングは成功するという確信を持てた。

 

 20分くらい歩いただろうか。昼下がりの午後、晴れ空の下でワイワイと喋りながら目的の橋に向かっていた時のことである。シゲ君が思いもよらない言葉を発した。「あ、工事中だ」「え?うそ?」僕は驚きの言葉と同時に現実を目にし、一気に崖から落とされたような気分を味わった。橋は工事中だった。通れるようにはなっていたが、右半分だけであり、左半分は立入禁止となっていた。対岸まで渡ってみたが、スペースはなく、ここでのバスキングは無理と言わざるを得ない状況だった。シンガポール然り、よくよく橋に縁がないものだ。一転し、僕はまたバスキングスポットを探して彷徨い始めることとなる。

 

 1時間ぐらい経過した頃だろうか。川沿いの遊歩道を2駅分ほど歩いたが、僕はまだバスキングができる場所を見つけることができていなかった。この遊歩道は人通りが多く、車道からも離れているためバスキングしやすそうな場所も多かったが、そのすべてに他のバスカーがいたのだ。僕は自分の考えの甘さに苛立ちを隠せないでいた。ロンドンはバスカー達がひしめき合う戦場だった。このとき実際に目にしたのは、ギターの弾き語りが2人、アコーディオンが1人、シャボン玉が1人、民族楽器が1人、砂の彫刻が1人だった。そして、バスカーがいない場所にはもれなく『NO BUSKING』という看板があった。僕はかなり焦っていた。応援についてきてくれた仲間たちも、なんだかソワソワしているように見えた。シゲ君は「あの橋は穴場だったんだけどなー」とボヤいていたがどうしようもない。僕は心の中で「とにかくどこかで演奏しなければ」と考えていた。

 

 最初に行動を起こしたのは、砂の彫刻のおじさんの近くだった。おじさんの視界には入るが、音は聞こえないよう距離をとり、アンプをセットして電源を入れた。いよいよだ。仲間たちは10mくらい離れたところから僕を見守っている。僕は手を組み、深呼吸をした後に息を吹き入れた「ピ~ピピピ~ピ~」井上陽水の『少年時代』だ。我ながら渋い選曲だ。そして、吹き始めてから10秒もしないうちに、大柄の警備員が手を広げ、首を横に振りながら近づいてきた「No busking, no busking」。この警備員はどこから現れたんだろうか。残念。止められてしまった。僕は笑顔で謝りながらその場を後にした。

 

 次に行動を起こしたのは、弓のような民族楽器を弾いている黒人のおじさんの近くだ。おじさんに音が聞こえないよう十分に距離をとり、警備員がいそうな建物が周囲にないことを確認し、僕はまたアンプをセットした。駅が近いこともあり、遊歩道には人が溢れている。少し遠くで仲間が見守る中、僕は演奏を始めた。「ピ~ピ~ピピ~ピピピ~」坂本九の『見上げてごらん夜の星を』がロンドンの遊歩道に響いた。いやはや渋い選曲だ。3分ほど演奏したとき、一人の黒人が僕の前で足を止めた。僕はついに手笛で人を止めることができたと胸が高鳴ったが、それは大きな間違いだった。僕の前に立っていたのは、離れた場所で民族楽器を弾いていたはずのおじさんだったのだ。

 

 おじさんは、すごい剣幕で僕に言葉を浴びせた。怒っているのは誰が見ても明らかだった。彼の英語は早口であまり聞き取れなかったが、「ここは俺が演奏している。なぜ声を掛けない。お前だけが笑っている。あと1時間演奏する」と言っているように聞こえた。僕は終始謝罪をし、彼の怒りがある程度落ち着いた段階でその場を後にした。そして、離れたところで見ていた仲間たちに事情を説明し、この場は解散することにした。僕はもうヘトヘトに疲れきっていた。まっすぐ宿に戻り、ベッドに倒れこんだ。バスキングは気軽にできるものではなかったのだ。覚悟を決め、計画を立て、時間をかけて場所を確保し、他のバスカーに最大限の配慮をしながら行わなければならないものだったのだ。

 

僕はこうしてロンドンのバスキング界で洗礼を受けた

 

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